「遺書?」

「はい。私たまたま飛び降り自殺現場に遭遇しまして、私の目の前に死体と一緒に遺書も落ちてきたんです。

そしてその遺書から、彼女が自殺したのではなく殺されていたことを知ったのです」

「え、ちょっと待って。急すぎて話がよく見えないんだけど」

「だから、見ちゃったんですよ私は。自殺死体でなく、他殺死体を。で、その犯人に追われてるんです。

このままじゃ殺されるなぁと思って逃げていたのですが、どうも逃げ切れそうにありませんの。

だから、わけのわからぬ殺人鬼に殺されるよりは、自らの意思で命を絶ちたいと思ったのです。その結果、私は今ここにいるわけです」

「……想像力豊かなんだね。ノエルちゃんは」

「貴方が信じるか信じないかは自由です。とにかく、私を殺して下さればそれで良い。構いませんね? 杉夫さん」

ありえない話だ。文字から人の感情が見える? その能力で自殺者の遺書から、彼女を殺した犯人を知った? 

その上その殺人犯に追われている? 漫画や映画じゃあるまいし。

俺は結局ノエルちゃんにおちょくられているだけなのだ。

「解った。約束だからね」

 僕は決意して立ち上がった。戸惑いが無くなったわけではないが、このままここに居続けるわけにもいかなかった。

そのままレジに向かい、財布を手に取る。

「あ、悪いです。私、払います」

「いや、ここは俺が払うよ」

 いくらなんでも、勘定を女性にさせるのは失礼にあたる。払い終えると、ノエルちゃんがこっそりと耳打ちした。

「ありがとうございます。冥土のお土産にとっておきますね」

 俺はそれに対して、笑って良いのかそうでないのか対応に困った。

取り合えず笑顔の形は作ったが上手くやれたかは自信が無い。

 外に出ると、途端に寒気が体を覆った。思わず身をすくめる。

「寒いですねぇ。体の芯まで凍っちゃいそう」

「大丈夫? 上着、貸すよ」

 俺はそう言って手に持っていたコートをノエルちゃんに羽織らせた。

寒くないわけが無かったが、風邪をひかれては大変だ。これから殺す相手の心配をするなんて妙な話だけど。

「ありがとう、ございます」

 ノエルちゃんは少し気恥ずかしそうに言った。吐く息が白く染まっている。

 俺はその姿を見て、こんなにも綺麗な女の子を殺してしまうと思うと胸が痛んだ。

 行き先は考えていなかったが、とっぷりと夜に漬かった路地を歩いていく。

薄暗い電灯が一つだけの路地は、不気味でしかなかった。

けれど、ノエルちゃんはちっとも脅えてはいなかった。

「さっき話しましたよね。殺人犯に追われてるって」

 脈絡なくノエルちゃんが言った。

「あれ、本当の本当なんですよ? 信じてくれなくて、少し残念でしたけど」

「……信じてないというか、信じる要素が無いから判断がつかないんだ」

それを信じていないというのではないか、と突っ込まれたら元も子も無かったが、ノエルちゃんは気にせず続ける。

「そうですよね。信じられないのが当然だと思います。私が文字から人の感情を解ることも。

それで殺人犯に追われているってことも。変ですよね私」

 そんなことない、と否定してあげたかったが上手く言えない。

「私、こんなことになるなら、もっと楽しく生きれば良かったなって思うんです。

文字を恐れずに街に出て、友達とショッピングして……普通の女の子みたいに。今更なんですけどね。本当に。

 本当はこんな風に生まれたくは無かった。だから、死に方くらい自分で決めたかった……。

 そんなところに杉夫さんが現れました。とても、嬉しかった。

もしかすると乱暴されるんじゃないかとさえ思っていたけど、貴方は優しい人ですね。

このコートみたいに、暖かい人です。ありがとう。本当に、ありがとう」

 ノエルちゃんの声が弱く響く。

彼女は、泣いていた。ノエルちゃんの華奢な体が小刻みに震えている。

俺は思わず衝動的にノエルちゃんを抱きしめたくなった。

けれど、これから自分が殺める少女に恋慕の情を抱くなんて滑稽すぎる。僕まで涙が溢れ出しそうだった。

「みぃつけた」

 その時、聞き覚えの無い声が聞こえた。

 その声の主は、電灯の下に立っていた。どうやら男のようだ。

「あ、う……」

 ノエルちゃんが声にならぬ声を漏らしている。さきほどにも増して体が震えていた。僕はただならぬ不安に襲われる。

 男はとても痩せていて小柄。とはいっても、一見男か女か判別が付かない中世的な顔立ちをしている。

かろうじて声色で解る程度だ。フードを被っているため、よく解らない。

 そして俺は驚いた。その男の手にはナイフが握られていたからだ。刀の部分が電灯に照らされて、妖しく光っている。

「な、なんだ、お前!」

「それはこっちのセリフです。貴方、誰? 僕が用あるのはそっちの女なんですけど」

 男はノエルちゃんを指差す。

「まさか、こいつがノエルちゃんを追っているっていう……」

「そうです。こんなにも早く見つかるだなんて」

「君たち人の話聞かなさすぎです。人の話を聞かなきゃ駄目っていうのは、小学校でも習いましたよね?」

「私は、貴方なんかに殺されないわ! この、杉夫さんに殺されるんだから!」

どういう状況かいまいち理解出来ず、俺はたじろいだ。

けれど、弱気な部分を見せるわけにはいけない。ノエルちゃんの前に立ち、彼女を背後に隠す。

「そ、そうだ! ノエルちゃんは俺に殺されるんだ!」

 なんて奇妙な返答なんだろう。自分でも滑稽だったが、気が動転した俺は取り合えず叫んだ。

「君が、その子を、殺す? ははははははははははははは」

 突然大声で笑い出した男に、俺は怯む。

 明らかにこの男は異常だ。俺はどうやって逃げ出そうか、タイミングを計る。

「馬鹿みたいだなぁ。本当。どうせ殺すなら僕が殺しちゃっても全然OKなわけじゃないですか。

大体、貴方、何? 何者? まぁ君が誰だって僕には全く関係の無い事実ですけどもね。

まあそういうわけで、貴方も殺してその女も殺しますよ。証拠隠滅、ね」

男はそう言うと、唐突にこちらに向かって走り出した。ナイフの先端は僕の体に向いている。

俺はわけがわからず、動くことも出来なかった。そして男が握ったナイフがわき腹をかする。

俺はアスファルトの地面にしりもちをついた。

「杉夫さん!」

 ノエルちゃんが叫んだ。

 男は倒れた俺を無視して、ノエルちゃんの方へと目をやる。そしてゆっくりと歩み寄った。

ノエルちゃんの顔が恐怖で歪んでいる。

「ノエルちゃ……」

 助けたいのに、痛みで声すら出ない。

「嫌……来ないで……」

 ノエルちゃんの言葉も虚しく、男はナイフを振り上げた。その様子がまるでスローモーションのように見える。

異常な状況とわき腹の痛みで頭が真っ白だ。

「ノエルちゃん!」

思わず動き出していた。俺は男に突進していたのだ。

 男は一瞬混乱したようで、目を見開いた。男の手首に俺は掴みかかる。

「逃げろ! 逃げるんだ! ノエルちゃん!」

「す、杉夫さん……」

 ノエルちゃんのか細い声が聞こえる。

「な、に、やっちゃってるんですか? その女を、僕は狩るんですよ。

僕を捕まえさせるために逃がしたのに、動きを見せなかった。そんなんだったら、いらないんです」

俺は、頭の中がぐらぐらと煮えているようだ。気が動転していた。

 男は俺に向かってナイフの刃先を向けている。

 どう対処するべきか……。逃げる、か? しかし、ノエルちゃんを置いていくわけにはいけない。額に汗が滲む。

「っ!」

 その時だった。男の顔が恐怖に歪んだ。

何に対して? 俺は辺りを見回す。何も無い。

 男はただ顔を強張らせて、走り去っていった。

「な、んだ、ってんだ……? あいつ。とにかく、助かった」

 俺は安堵の声を漏らす。そして思わず地面に腰を下ろした。

「杉夫さん!」

「ああ、ノエルちゃん……良かった。無事で」

 空を仰いでうわごとのように呟く。もう朝日が差し込んでいた。

 ノエルちゃんが俺の傍に駆け寄ってくる。

よほど恐ろしかったのだろう。元々肌が白いのに、それを通り越して蒼く見える。

「血! 血が! あああどうしましょう! 病院はこんな時間にやってるはずありませんし!」

「大丈夫だよ。こんなの舐めたら治るし」

「そそそそんな! だって、破傷風とかになったらどうするんですか!? そうだ! コンビニです! 

こんな時にはコンビニを使うと良いと先生が言っていました!」

「ま、まあ落ち着いて? 取り合えず危険だし、タクシー呼ぼうか。それから移動しよう」

「あ、はい!」

 ノエルちゃんは携帯を取り出し、タクシー会社の電話番号を検索している。

「ところで、さっきの男は……まさか本当に君を狙ってたなんて。どういうことだい?」

「事情は、後々お話します」

 頭の中に渦巻く疑問が、わき腹の痛みで掻き消されてしまう。

しばらくしてタクシーが現れた。俺とノエルちゃんはそれに乗り込んだ。

 運転手はノエルちゃんの服装に反応したのか、少し怪訝な顔をした。俺が咳払いをすると、運転手は口を開いた。

「何処までですか?」

「ああ、取り合えず近くにコンビニありますか? そこで一旦止まってもらって、それから次の目的地言います」

「解りました」

運転手は短く言って、アクセルを踏んだ。

数分後、コンビニに到着した。俺とノエルちゃんはタクシーから降りて、店内に入る。

 籠を持ってしばらく探索していると、ノエルちゃんが手に消毒液を持っていた。

「杉夫さん、これで良いですか?」

「うん。有難う。そうだ。小腹すいてるし、なんか買う?」

「はい!」

 俺は適当にスナック菓子を籠に放り込み、ノエルちゃんはチョコレートを選んだ。

 異様にわくわくしているノエルちゃんに、俺は思わず微笑んだ。

「何が可笑しいんですか?」

「いや、ごめん。コンビニでここまで楽しそうにしている人初めて見て」

「すみません。あの、私コンビニに来たのが数年ぶりだったんです。だからなんだか嬉しくて」

 照れているノエルちゃんが微笑ましかった。

「そっか。それにしても、こんなにもタクシーの料金を気にせずに買い物出来る機会なんて、滅多に無いよなぁ。一般人からしたら」

「そういうものなんですか? 私あまりタクシーに乗ったことがないので……」

「そっか。普段はどうしてるの?」

「え。ああ、そうですね。あまり外出しないのですが、出かける時は先生に送ってもらうか、徒歩です」

「え、ノエルちゃん高校生だよね? 外出しないって?」

「高校は行っていませんので……。屋敷では家庭教師が来てくれてお勉強はしていますが。

それも、文字ではなく図か口頭で説明してもらわないといけないので大変なのですが……。文字だと集中できないから」

「ああ、そうだったね」

「信じて下さらなくても結構ですけれども」

「馬鹿言うなよノエルちゃん。さっきあんなめにあって、今までの君の言い分を信じないわけにはいかないだろう」

 そう言って俺は笑った。

レジに行くと、店員が訝しげな顔をしていたので何かと思えば、俺のわき腹から流れている血が原因だったようだ。

確かにこれはやや目立つ。

「大丈夫ですか?」

「ああ、これ、さっき擦っちゃって。全然大丈夫ですよ」

 しろどもどろに言い訳したが、通用していたかは謎である。

 買い物を済ませた俺とノエルちゃんはタクシーに戻った。

メーターに目をやると、学生にとって結構大変な値段になっていたが、100万円という大金がある身としてはそう気にならない。

「で、お客さん。次は何処ですか?」

「えーと。これから泊まれるところって無いですよ……ね?」

「うーん。カプセルホテルとかならありますけど」

僕は別にそれでも良かったが、ノエルちゃんをそこで眠らせるのには気が引けた。

「あの。私、先生に遅くまでやってる良いホテルがあるって聞いたことあります」

「え、本当?」

 驚いた。まさかの逆転だノエルちゃん。

「えーと、この道を確か右で……」

 ノエルちゃんが道案内を始めて、僕は一安心した。

 数分後、安心し俺僕の心は動揺に変わることとなった。

たどり着いたのは確かにホテル。しかし、ホテルはホテルでも……。

「え、あの。ノエルちゃん? ここは?」

「ラブホテルですよ?」

 そう。目の前にあったのは、無駄に西洋の城を連想させるラブホテルだったのだ。

「あの、ノエルちゃん。ラブホテルってどういう場所か存じあげてますか?」

「当然です」

 冗談じゃない。カプセルホテルより尚悪い。

というか、ノエルちゃんが言う“先生”というのはいかなる人物なのだろうか。

ノエルちゃんに妙な知識ばかりを植えつけているように感じる。

あの、ノエルちゃん。やっぱやめよう」

「何故ですか?」

「だって、ほら、そのう。俺も一応健全な男の子だし、そういうの、駄目でしょ? ほら、ね? わからない?」

「別に、杉夫さんが変な気を起こさなければ問題ありませんわ」

「そりゃあ、そうだけど……」

 ノエルちゃんは淡々とした態度で、一万円札を運転手に渡した。

「お釣いりませんので」

 そう言って、俺の腕を掴み強引にラブホテルに引き込まれた。

普通……男女逆だろう……。俺は虚しいやら嬉しいやらで、頭がいっぱいだった。



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