「……こんな風になってるんですね。下手なビジネスホテルなんかより、ずっと綺麗ですね」

 ホテルの部屋に入った瞬間、ノエルちゃんは感心したように声を漏らした。

 部屋の内装は至ってシンプルで、確かにこの値段で宿泊出来るには十二分だろう。

 最近は家族連れで泊まる人もいるらしいし、行くあての無い俺達にとってはうってつけの場所なのだった。

 しかし当たり前だが、ベッドが一つしか無い。俺はソファで眠るしかないようだ。

「ふかふかですね」

 気づいたら、ノエルちゃんはベッドに寝転がっていた。

 一瞬ドキリとする。警戒心というものが無いのかこの子は。

「と、取り合えず、どうする? 風呂入る?」

「そうですね。お先に良いですか?」

「どぞどぞ」

 ノエルちゃんは右手を上げて短く返事をした。

 ベッドから飛び降りて、バスルームに消えていった。

「ったく、はぁ。なんでこんなことに……」

 俺は頭を抱えた。そりゃあ可愛い女の子とラブホテルに来られるだなんて、一生無いことだと思っていたし、事実嬉しいのだが。

 まあ別に何をするわけでも無いのだ。やましい感情はちっとも無い。無いはず。自分自身に言い聞かせる。

 バスルームからシャワー音が聞こえてくる。

 この扉の向こうでノエルちゃんがシャワーを浴びている……そう考えると、どうしようもない気持ちになった。

 でも、本当に俺自身にやましい気持ちが全然無かったかというと、そうでは無いのかもしれない。

そりゃあ彼女の境遇や危機を考えると、助けたくなるのが自然の気持ちではあるが……。

もし彼女が美しくなかったらどうだろうか? 俺は、彼女を助けたろうか。

 俺はもしかして、彼女に見返りを求めているのではないのか? そう思うと、自分がどうしようもなく嫌な人間に思えてきた。

ただノエルちゃんから見て、格好の良い男だと思われたかったのではないのか?

  俺は思い切り頭を左右に振った。そんなことは無い。俺は人間として正しいことをしているはずだ。そう自分に言い聞かせる。

 二つの感情が交錯する。俺は本当にどうしようも無い。

 しかし俺にも、まだまともな感情があったのだと知り妙な気持ちになる。

 まだ自分が生身の女性に興味があっただなんて。

「あがりました」

 バスルームから、ノエルちゃんが出てきた。どれほどの間俺は考え込んでいたんだろう。

 声に釣られて顔を上げ、僕は目を見開いた。出てきたノエルちゃんは薄いバスローブを纏っていて、なんともいえない色香を放っていた。

 俺は沸き起ころうとしたくらだぬ思考を頭から振り払う。

「じゃ、杉夫さんもどうぞ」

「あぁ。うん」

 俺は言われるがままにバスルームに足を進めた。

 服を脱ぎ、シャワーの蛇口をひねる。

 身体を暖かなお湯が滑っていく。今日1日の疲れが吹き飛んでいくようだ。

 全く、今日はなんて日なんだろう。自殺を請け負おうとするものの、相手は殺人犯に追われている女の子。

その上文字から人の感情を読み取れるだなんて。信じ難いことだが、事実起こってしまったのだから仕方がない。

「目的のためなのだから……」

 独り呟く。排水溝に、湯と共に腹から流れる血が吸い込まれていくのを見る。

 俺もこんな風に、吸い込まれて消えていけば良かったのだろうか。

そうすれば、こんなにも世界の嫌なものを見なくて済んだろうに。


「ああ、良いお湯だった」

 俺が消毒を済ませてバスルームから出ると、ノエルちゃんはベッドの上で缶ビールを飲んでいた。

「こら。未成年が飲酒したら駄目でしょ」

「良いんですよ。先生とはいつも一緒にワイン飲んでましたもの」

 良くないだろ。いくら否定しようにも、ぬかに釘状態だったので、俺は黙った。

「……って! 何見てるの!?」

「見ての通りですけど」

 ノエルちゃんが見ていたのは、テレビ画面に映ったアダルトビデオだった。画面の中で男女が露な姿になっている。

 嫌な汗が額に滲む。

「ちょ、ちょっと! なんでこんなの見てるの!?」

「どうしたんですか? 杉夫さん。そんなに慌てるものですか?」

「う、煩いなっ! とにかく消して!」

俺は強制的にテレビを消した。ノエルちゃんは不服そうに僕を見る。

「ふふ」

「何がおかしいの!?」

「いや、最近珍しいなぁって。こんな殿方がいるだなんて」

「ちょ、なんか、ノエルちゃん変だよ? 酔ってる?」

「酔ってませんよ〜」

明らかに活舌がおかしい。完全に酔っぱらっている。缶ビール1本で酔うだなんて、どれほど酒に弱いのだろうか。

「ねー杉夫さん。杉夫さんって、女の人と情事をしたことありますか?」

「な、な、何、いきなり」

「ただの興味です。はい」

こんな酔っ払いを相手には出来ない。けれど、あまりにしつこくまとわりついてくるので、弱ってしまう。

「いや、その。無い……です。お恥ずかし、ながら」

 本当に恥ずかしい話だ。何故三つも年下の女の子に、こんなことを語らなければならないのだろうか。泣きそうだ。

「え、でも、なんでですか?」

「まあ、その。女性にあんまり興味無いっていうか」

「え! あ、じゃあ……」

「いや、男性にも無いっていうか。人間にも無いっていうか」

「じゃあもしかして動物とするんですか?」

「女の子がするとか、そういうこと、言わないでよ。本当。おじさん悲しくなっちゃうよ」

「おじさんって、杉夫さん大学生じゃないですか〜」

 あはは。と軽く笑うノエルちゃん。

「うーん。わかんない」

「聞いたら……多分、引くから」

「大丈夫ですよ。引かない自信ありますから」

「ん〜……じゃあ、言うけど。僕、人形にしか欲情しないんで」

「人形?」

「そう」

「へぇ〜」

ノエルちゃんは、奇妙な生物を見るかのごとく俺に詰め寄った。引いているというよりは、興味があるようだ。

珍獣を見ているかのような目だ。

「でも、人形とどうやって情事を行うんですか? 無理じゃないですか」

「最近は、ね、まあ、時代も進んでて。ラブドールっていうのがあるんだよ」

「ラブドール?」

「そう。人形の下腹部にね、まあいろいろと仕掛けがありまして。で、そういうことが出来るのね」

「えぇ!? それって、どれくらいの大きさなんですか?」

「普通の人間と変わらないよ。150センチ代かな。まあ、ロリコン趣味な人用に幼女体型なものもあったりするけどね。

俺はそういうケは無いから、普通の女性のモデルだけどね」

「本物の女性と同じ感じ?」

「シリコン素材だから多分近いよね。胸とか、柔らかいし。まあ、俺、本物の触ったこと無いけどね……」

 虚しくなって遠くを見つめる。

「なんだか、新しい世界を知っちゃった気がします」

「ごめんね……なんか、変な話しちゃって」

「いいえ。凄い技術だと思いますよ? だって、もしそれが普及したら、性犯罪が減りますよきっと。

最近変質者に小学生が狙われたりしているじゃないですか。ラブドールが普及したら、その抑制に繋がりますよ」

「まあ、そう言われればそうかもしれないけど……」

心の中で、多分そうなるには後5年以上はかかるだろうと思った。

なぜなら、ラブドールのは50万ほどもする高価な品物だからだ。一般人が易々手を出そうとは思わないだろう。

他にもいろいろトラブルがある。

いらなくなったラブドールを処分しようとしたのだが、引き取り費がかかるということで分解してごみ山に棄てた人間がいたのだそうだ。

数日後、ラブドールをバラバラ死体と勘違いしたおばちゃんが警察に通報。ちょっとした事件になったこともあった。

ラブドールを使用しているところを妻に見られ、離婚を迫られたなんて男性も居たという。

なにより、本当の女性とセックスするのとは何かが違うのだ。内部はひんやりと冷たいし、人形だから反応があるわけでも無い。

ただのマスターベーションに過ぎない。独りよがりなのかもしれない。

けれど本当の女性を恐れている俺は、ラブドールに自分の欲望を吐き出すことしか出来なかった。

今やすでに人形が彼女状態である。

今回ノエルちゃんと一緒に居て気づいたのだが、俺は現実の女性とセックスしたくないわけじゃないらしい。

多分恋愛もしたいと思っている。けれど、恐ろしい。拒絶されるんじゃないか、そう思うと一歩を踏み出せないのだ。

人形は口を開かないから好きだ。

「じゃあ、私と情事をしたくはならないわけですね?」

 ノエルちゃんの言葉で、俺は我に返った。

「え」

「人間の女性とはできないんでしょう? だったら、今日一緒に眠っても平気ですね。良かった。杉夫さんが誠実な方で」

 いや、誠実では無くてただ恐いだけなんだけど。

「いやいや! 俺はソファで寝るから!」

「なんでですか?」

「だって、君は女の子なんだよ? いくらなんでも、そういうことは慎むべきだ。もう遅いし、眠ろう」

「はぁい……」

 ノエルちゃんは残念そうに言って、ベッドの中に潜り込んだ。

 俺は安堵する。

「じゃ、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

短く言って、俺はソファに横たわった。疲れのせいか、すぐに眠気が訪れた。



「昨夜は、申し訳ありませんでした」

 翌日、俺はノエルちゃんに深々と頭を下げられた。

「失礼なことばかりを聞いてしまって。酔っていたとはいえ」

「いやいや。大丈夫だから。気にしないで?」

正直昨夜のことはややショックだったのだが、まあ酒が入っていたことだし、気にしないことにした。

数十分後、身支度を済ませた俺はノエルちゃんに問うた。

「ねえ、ノエルちゃん。そういえば聞かなければならないことがあったね」

「なんですか?」

「君を狙った男のことさ。あいつは、一体何者なんだい? 君が自殺者の手紙を見てから狙われるようになったと言ってたけど……」

「そうですね。そのことを説明していませんでした」

ノエルちゃんは椅子に腰掛け、今までの経緯を説明し始めた。

ようやく真剣な話が出来そうだ。

「私が自殺死体を目の前で見たのが全ての始まりでした。私はそれから彼に狙われるようになったのです。

恐らく、あの死体を見てはいけない理由が何かあったのです。……彼は、これから沢山人を殺すでしょう」

 ノエルちゃんは目付きを鋭くして言う。

「一体何故?」

「本当は警察に言うのが一番なんですが……こんな話信じてくれるはずは無いですし……。

杉夫さん、これから私が言う話、真剣に聞いて下さいます?」

「もちろん。もうここまできたら何にも驚かないよ」

「わかりました。では、話しますよ?」

 ノエルちゃんは俺の瞳を見つめたまま口を開く。

「彼は、生まれた時から二つの身体を持っていたのです」

 嗚呼、頭が痛い。俺は眩暈にも似た感覚を覚えた。



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