互いの口から飛び出すのは様々な憶測ばかり。その度に、私が犯人だという疑いが深まっていく。 頻発する「まさか……そんな」という言葉に私は吹き出しそうになった。 まるで私をすでに犯人と決め付けている話しぶりが妙に滑稽だったからだ。そんな私とは反対に、彼は淡々とその会話に応じた。 「蜜柑に会ったら……まず何を話そうかな」 ナギが顔をしかめて言った。真剣な声だ。 けれどこの言葉は無意味だ。ナギは私に会うことは無い。なぜなら、彼にもうすぐ殺されるのだから。 「まずは昨日の話について聞いてみたら良いんじゃないかな」 彼はなるべく当たり障りの無い返答をした。 ナギはまだ気づいていない。そして気づくはずも無い。 彼女は私の家の場所を知らないからだ。彼とナギは、私の家から大きく離れた場所まで移動していた。 彼女の息の根を止める場所を私はすでに決めていた。なるべく人気が無く、なおかつ彼女に疑われない場所。そこに二人はたどり着いた。 「うわ……この駅、飛び込み自殺の名所でしょ? 蜜柑ってここから家に帰ってたの?」 ナギが怪訝な声を漏らした。二人がたどり着いた場所、そこは小さな無人駅だった。 田舎では多数存在する、人が数人ほどしか立てない駅だ。一日に人が利用する数もほとんど無く、人目も気にならない。 それ故に毎年自殺が多発している。そのこともあってか、更に利用する人間は少なくなっていた。 つまり、彼女を葬るのにうってつけの場所だった。 「まあ遠くといっても二駅向こうからだけどね。小さな駅が何個かあるだけだからさ」 「ふぅん……知らなかった」 知っていられては困る、と私は笑った。 それと同時に、不気味がっているナギを見てどくりと心臓が高鳴った。 今目の前で動き喋っている人間の命を、私は自分の保身のために奪うのだ。 その時だった。遠くから騒がしい音が聞こえだした。すべては計画の内だ。 ナギにとっての死神がこちらに近づいてきているのだ。鈍い動きで、その大きな物体はこちらに歩み寄ってきた。 貨物列車だ。 私は彼女を殺すのに、人が乗っている電車は不向きだと考えていた。 「あれ?電車だと思ったのに。貨物列車じゃん!」 驚きの声が上がった瞬間だった。 彼は一心不乱に、彼女の背中を押した。 数秒のことだったのに、数分間にように感じた。 ナギの背中の感触が手から消える。 ゆっくり、ゆっくりと時間は流れた。 ドン、と鈍い音が鳴り響き、その後にぐしゃりと彼女が潰れた音が聞こえた。 貨物列車は何も無かったかのように通り過ぎていった。 一瞬の出来事に、彼と私は呆然とした。 それと同時に、体の奥底から何か負の感情が沸きあがってきた。 体がわなわなと震えだし、目の焦点が定まらない。 線路の方へ目をやると、もう人間かどうかも判別がつかない肉塊が転がっていた。 私は思わず嘔吐しそうになり、己の口を塞いだ。同時に、彼は何も考えず走り出した。 この場から早く逃げ出さなければならない。 頭の中が、彼も私も真っ白だった。とにかく、彼を彼が住んでいるアパートに向かわせねばならない。 ただそれだけだった。
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彼がどうやって自室に戻ったのかはあまり覚えていない。 時計を見ると二十分ほど時間が経過していたので、距離からすれば途中から歩いていたのだろう。 それ以上に冷静に考えられるはずもない。彼はソファに深く腰掛けて一息ついた。 一方、私は布団の中に潜っている。
「また……殺したんだね……」 私の頭の中で聞き覚えのある声が響いた。 私は思わず息を止めた。 一瞬、状況を理解することが出来なかった。 世界が時を失ったようだった。 なんらおかしくもないその声。その声は確かに、彼のものだった。 けれど、その声は聞こえるはずが無いのだ。 私は彼にそんな言葉を言わせていない。 今の言葉は私の意思じゃない。 彼がそんな言葉を本来、言うはずが無い。 けれど今確かに、彼は言葉を発した。 何故? その冷たい声は、私の動作を氷結させた。 「彼女を殺す理由なんてあったのかい?」 はっきりとした声だった。 そしてその言葉を発したのは確かに彼だった。 けれど、私は彼にその言葉を発せさせたわけじゃない。 明らかにおかしい。彼自身が自分の意思で喋っているとでもいうのだろうか? 「何? どういうこと……? 貴方……あなた誰なの!?」 正直な疑問が口から溢れ出した。 思わぬ事態にかなり動揺している。それが自分自身でも解るほどだ。声が上手く出ない。 「誰って……僕は僕さ。君が二人の女の子を殺させた。その僕さ」 「嘘よ!」 そんなはずない!私は強く思った。 声が震え、心臓が早い音を奏で始める。 「彼は私と同じ人間なのよ!? 勝手に喋ったり動いたりなんて出来ない! 言葉では否定していたが、現実は私に重く伸し掛かっていた。 頭の中で喋る彼が彼でないという方が現実味の無い見解だ。 そんな事実は否定したい。 「確かに僕はさっきまでは君だった。けれど、今しがたそうじゃなくなった」 「何を……言っているの?」 「まだ解らないのかい蜜柑。僕は今、生まれたんだよ。もう君の操り人形なんかじゃないってことさ」 全身の色を失いそうだ。 目の前にある鏡の中で、彼は笑っていた。 なんて美しい微笑みなんだろう。けれど私にとってその笑みは恐怖そのものだった。 「今までいろいろなことをさせてくれたよね。何人も人を殺させてさ。僕を操って人間を殺させるだなんて……」 「だってそれは……貴方は私だったんだもの!」 「確かにそうさ。だけど、もうこの体は僕自身のものなんだ。僕は君じゃない。そして……」 彼は静かに目を伏せた。 そしておもむろに立ち上がり、キッチンへと足を運ぶ。 ゆっくりとした動きで、彼は己の手に鋭い包丁を収めた。 「君を殺せば、俺はやっと一人の人間として生きられるってことさ」 私はもうすでに彼では無かったが、彼が微笑んだということは安易に予想できた。 私は自分の体温が段々と消えていくのを感じた。手足が小刻みに震えだし、体中を恐怖が支配していく。 「ま、待って! 謝る! 謝るわ! 私は確かに貴方の人生を台無しにしてしまった…… 「そんな言い訳、意味無いね。どれだけ君が謝罪しても、事実殺人を犯したのは僕だし、万が一捕まるとすればそれは僕の方さ。 「まって……待ってよ!」 懇願するが、これ以上に気のきいた言葉が出るはずも無かった。 確かに私は彼の体を使って殺人を犯させた。その事実が変わるはずも無い。 「君は十分生きたじゃないか。今度は僕に僕自身の人生を歩ませてくれよ」 「そんな……!」 「今からそっちに行くよ」 それは私にとって死の宣告と等しい言葉だった。
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ビルから飛び降りた蜜柑の死体は、きっと鮮やかな紅なのだろう。 僕はそれを見ることは出来ないが、まだ残っている彼女の眼球から、世界を見ることは出来る。やがてこの視界も消えるのだろう。 女の子が目の前に立っている。真っ黒で少女趣味なドレスを着ている。 彼女が悲鳴を上げた。そして、近くに落ちている遺書を手に取る。そしてひっそりと呟いた。 「……殺されたのね、貴女」 僕は驚いた。何故それを知っている? とにかく事実を知っている以上、この女を殺さなければ……。 やがて蜜柑の視界は真っ暗になり、僕はやっと独りになった。 |