( 3 )


 昨日二人の男女を殺し損ねた。

深夜の街は漆黒に包まれて落ち着く。大通りを僕は寂しく歩く。

「昨日のリベンジに来ましたよ」

 僕はにやりと笑みを浮かべた。

 目の前には昨日の男女。

男の方はいたって平凡だが、よく見ると端整な顔立ちをしている。

女は金色の髪に蒼っぽい目。どこか西洋の雰囲気を感じる。

これでもかとレースをあしらった黒いドレスを着ている姿は、まるでフランス人形のようだ。

「さあ。続きを始めましょうか」

「その前に、お前に聞きたいことが山ほどある」

 男は真剣な表情で僕を見つめる。

「本当にお前は、沢田 蜜柑に操られていたのか?」

 何故、それを? 僕は顔が強張っていくのを感じた。

 そうだ。何故それを知っている?

「何故……」

「お前のことは全てノエルちゃんから聞いた」

 そうか。そこにいる女はノエルというのか。

いや、それより一体、どうやって調べた? 蜜柑が誰かにこの能力のことを話していた記憶は無いというのに。

「貴方と蜜柑さんのことは、彼女が書いた遺書から全て知りました」

「遺書?」

 女は僕の目を射抜くような瞳で見る。

「解るはずが無いでしょう。だって、蜜柑が書いていた遺書は僕も確かにこの目で見た。

ただ“死にます”だとかそういった簡潔な文面だったはずです。貴女がそこから僕達の関係を知りえるわけがない!」

「解るのです。私には。彼女の書いた文章から真実を知りました」

 何を言っているんだ。この女は。あんな短文から僕達の秘密を知れるはずが無い。

しかし、僕と蜜柑の関係を知っているのは確かだ。

「……まあ、なんでも良いですよ。あの遺書からどうやってそのことを知ったかは謎ですが……

それで、僕に何が言いたいんです?」

「だから、本当にお前が沢田 蜜柑に操られていたのか? ということだ」

 男が言う。

「そうですよ。僕は、ずっと蜜柑に操られてきました……。人殺しまでやらされた。

だから、僕が蜜柑に復習するのは当然ではありませんか!?

 僕が何か悪いことをしましたか!? 僕が自由に生きる権利が無いというんですか!?」

 ここまで腹の底から叫ぶのは、生まれて初めてだ。僕は涙腺が緩むのを感じる。

「それが事実なら、貴方を責める人は誰もいないでしょう」

「何……」

 事実? 事実に決まっているではないか。

「私は確かに蜜柑さんのメッセージを受け取りましたよ。操られていたのは、本当は貴方ではなく蜜柑さんの方だったという真実のメッセージを」

 なんだと? 頭の中が、真っ白になる。

 操つられていたのは蜜柑の方? 操っていたのは僕の方? 理解出来ない。

「何を言ってるんですか? 僕は確かに今まで操られていて……」

「では問います。貴方は何故、今まで自分が部屋から出られなかったとお思いですか?」

「それは……だから、蜜柑に操られていて……」

「では夜の外出は? 貴方は蜜柑さんが眠っている時、外出をしたことがありませんか?」

 確かに僕は、蜜柑が眠っている間に外出をしたことがある。

「蜜柑さんが貴方を操っていたならば、眠っている間にどうやって貴方を動かすことが出来るのでしょうか」

 女の言葉に、後頭部を殴られたのごとく衝撃を受ける。

「それは……」

「その理由は、貴方自身が一番知っていたのではありませんか?」

 月光が僕の姿を照らしていく。

風でなびくフードが脱げ、僕の顔が露になる。

 嗚呼、そうだ。そうだったのだ。

 僕の真っ白な髪、そして真紅の瞳が世界に映し出される。

「貴方はアルビノですね」

 そうだ。僕は生まれた時から体質上、日光の下を歩けない。

歩けば皮膚がケロイドのようにただれてしまう。だから深夜に外出していた。

 けれど、それがなんだっていうのだ。

無意識の内に蜜柑が僕を操っていたのかもしれないじゃないか。

夜に外出させなければ僕にダメージがあると知っていたはずだ。だから僕を深夜に外出させていたに違いないのだ。

「それがなんだっていうんです……」

「貴方は生まれた時から二つの身体を所有していた。片方は沢田 蜜柑と名づけられ、家族に恵まれた。

そして片方は名前が無く、アルビノの体質だった。そして孤児院とも言えない惨めな場所で育てられた」

「だから! だから……僕は蜜柑の人生を選んだんです」

「そう。今貴方がおっしゃった通り、選んだのは貴方なんです。

けれどその前に間違いがあります。それは、生まれた時から貴方が主体だったということ。

つまり、貴方は今の男性の身体を選ぶ間もなく最初から男性だったのです。

一つの精神に二つの身体があるというより、貴方という人間が存在しており、沢田 蜜柑という女性の身体を持っていたという形だったのです。

最初から貴方は貴方だった。抜け殻だったのは蜜柑さんの方だった。

そして貴方は蜜柑さんを通して幸せな生活を始めた……貴方自身は廃墟のようなマンションに住んでいたのです」

「どういうことです……?」

 何が事実で、何が虚像なのか解らない。僕は最初から、僕という人間だった?

「貴方は、身体はアルビノで日光を浴びることが出来ない。考えた貴方は、自分の人生を棄てたのです。

自分は夜外出するだけ。けれど、頭の中では蜜柑さんが楽しい生活を送っているわけです。

貴方にとってはそれがなによりの幸せだったのでしょう。まるで本当に自分がその生活を送っているかのように感じていた……」

「そんなわけ……無い」

「どうしてそう言い切れます? 貴方はどこからが現実か虚構かわからなくなっていたはずです。

例えれば、パソコンのオンラインゲーム。自分の分身であるキャラクターに入れ込みすぎて、現実が疎かになる。

むしろ、そのキャラクターが本当の自分のように感じてしまう。貴方はそういった状況を自ら選んだのです」

 女は探偵のような口調で続ける。

「廃墟のようなマンションの一室で、貴方は幸せだった。暖かな家庭に包まれること。それがなによりの貴方の幸せだったのですから。

まるで蜜柑さんが自分そのもののように感じた。けれど、それは事実ではありませんでした。

だって、いくら頭の中で彼女として愛されても自分の生活を見れば全く違う人生なのですから。

 次第に貴方は蜜柑さんと自分との境界線が無くなっていくことに気づいていたはずです。そして自らそれを望んだ。

 ――自ら 沢田 蜜柑 になることを望んだのです。

 そして貴方の中で事実が逆転した。本当は自分が蜜柑さんを操っているというのに、まるで彼女に操られているかのように錯覚し始めた」

「嘘だ……」

口から虚しく声が漏れる。それはもうすでに完全なる否定では無い。否定したいという願望からのものだ。

「貴方は蜜柑さんとしての生活を楽しんでいた。けれど周りに敵も出来る。いじめられたり、妬まれたり。だからその人物を殺していた。

自分が捕まらないから人殺しを行っていたのは蜜柑さんではない。むしろ貴方だった。

蜜柑さんの周りで殺人事件が起これば、それだけ蜜柑さんになんらかの疑いがかかる可能性があったはずです。

だって、殺されていたのは彼女をいじめていた人物だけだったのですから。蜜柑さんが自殺した今、警察は彼女が犯人だっと考え、この事件を終結させるでしょう」

「だったら! だったら何故……蜜柑は自殺などしたのですか? 僕は彼女を操って自殺させたわけではない。

彼女をこの手で殺そうと思っていた。けれど、彼女はその前に近隣のビルからに飛び降りた……。これをどう説明するのですか?」

 今度は男が口を開く。

「それもさして難しいことでは無いよ。君はある日自分の意思が生まれたと考えた。けれどそれは逆だった。

君ではなく蜜柑さんの意思が生まれた。ただそれだけの話だ。彼女は君に殺されると考え、自殺したんだよ。

意思が生まれた最初の行動が自殺だったなんて、悲しいね」

「そこを私が通りかかったんです。飛び降りた蜜柑さんの死体と遺書を見たわけです。それから貴方は私を執拗に追い回し始めた。

だから私は杉夫さんに自殺を請け負ってもらおうと思いました。そして昨日、貴方が現れた。貴方、言いましたよね。

私に自分を捕まえて欲しかったのだと。……何故ですか?」

「何故……?」

 そうだ。何故僕はそんなことを言ったのだろう。どうしてわざわざこの女を逃がした?

「貴方は無意識のうちに自分を止めて欲しいと考えていたのではありませんか? だから私を逃がした。そしてその結果がこうです」

「だ……まれ! 黙れ黙れだまれっ! どうしてそんなデタラメを言うのですか!? 

僕は、僕は蜜柑に操られていた可哀想な人間なんです! 何故、そう思わせて下さらないんですか!?」

 僕はポケットに入れていたナイフを持った。

「それが事実ならば……僕に、生きる意味など……ありません」

僕は虚しく呟いて、ナイフの切っ先を、自分の喉に向けた……。

その瞬間、僕の手首に激痛が走った。

赤黒い血が手首から噴出す。まるで薔薇だ。

 主人の意思を失ったナイフが手から放れ、アスファルトの地面を滑っていく。

「どうして……」

 男の手には鋭いナイフが握られていた。それで僕の手首を切りつけたのだ。

「お前の自殺、俺が請け負おう」

 男が真剣な眼差しをこちらに向けた。

「いつかお前の命を俺が奪う。その時までお前の命を俺が預かる」

「なんで、そんなこと……僕には生きる意味が無いんです。蜜柑を失った僕には。だって、こんなにも辛いのに……」

 何を言い出すのだろうこの男は。突然の事態に、僕は困惑した。

胸の辺りが激しく痛む。

 そうだ。あの時もこう感じた。自分の人生を棄てると選んだあの時も。

僕の選択は正しかったのだろうか。幸福を選ぼうとしていたのか、破滅に向かっていたのか。自分でももう解らない。

冷え切った空気を吸い込むと、肺が軋むように痛んだ。久々に生きていると実感する。

肺に蔓延する痛みよりも、心に刺さった痛みの方がより強大だ。己の片割れを自殺にまで追いやった。

もう僕に生きる意味など無いというのに、この男は僕を生かすと言う。

何故なのか、僕には理解出来ない。

「今日辛くても、明日は楽しいかもしれない」

 男の凛とした声が僕の鼓膜を震わせる。

「本当ですか?」

「可能性はゼロじゃない。要は自分の心の持ちようだ」

 僕は思わず泣き出していた。嗚咽が漏れる。

 最も懇願していた言葉だった。

 僕は幸せになれますか? たった独りでも生きていけるのでしょうか。

「信じます……そう、信じたいです。でも、僕には名前すらない。僕は存在していない」

「名前くらい俺が付けてやるよ。ん〜そうだな。エラト。エラトだ」

「エラト?」

「ああ。ギリシア神話の女神の名前だ。響きが好きなんだ。センス無くてごめんな」

 心の水底に暖かな波紋が広がる。

 どうしてこれほどに安心するのだろうか。ただ名を与えられただけだというのに。

 いつの間にか僕は、言い表せないほどの温もりに包まれていた。

「エラト。それが、僕の名前……ありがとう」

生まれて初めて、僕は大声で泣いた。



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