「飛べ!」

 アキレス腱に力を込め、私は窓の外に踏み出す。勢いよく窓枠を蹴ると、身体は宙に飛び上がった。

 体中に鳥肌が立つ。もしこのまま落ちたら、妄想とはいえ激痛を感じるだろう。

「飛べってば!」

 声を搾り出すように叫ぶ。すると、身体を風が包んだ。耳にひゅうひゅうと風を切る音が響く。

 確かに私は飛んでいた。両手を広げ、鳥のような格好で、風の中泳いでいる。

「妄想とはいえ、ちょっと感動だなぁ」

 白い息と共に感動を吐き出すと、瞳が濡れた。

 私の身体は浮上し風を切って、街の中心部へと飛んでいく。すべての建物がミニチュアのようだ。

目を閉じると、風の感覚だけが身体に残る。気持ちいい。こんなに心地良い感覚は久しぶりだ。

「!」

 次の瞬間、全身が震え上がった。身体が急降下を始めたのだ。

 戸惑い、私は声にならぬ声を叫ぶ。飛ぶことから意識を離したからだろうか。

見る見る間に身体は落下していき、私は街の中に落ちていく。左右をビルが流れていき、地面が近くなる。

あと10メートル、5メートル、1メートル、30センチ……

「飛べ! 飛べ飛べっ!」

 わめき散らすと、少しだけ身体が浮上した。私はその感覚を逃さない。兎に角飛ぶことだけを頭に思い浮かべる。

 鼻先が地面に付きそうなほどの距離で、私の身体は浮上した。

ゆっくりとした動作で、地に足を着ける。私は恐怖のあまり地面に座り込んだ。

 もしあのまま浮上していなかったら、私の身体は砕け散っていただろう。

もしそうなっていたら、私は目覚めることが出来ていたのだろうか……。

先ほどの壷のケガのことを思い出し、ぞっとした。

 周りを見渡すと、街のど真ん中だった。自宅から自転車で20分ほどの距離だ。

私は自分がパジャマのままだと気づき、顔が熱くなるのを感じた。

けれど誰も私を見る人は居ない。妄想とは都合の良いものだ。

 私は思考を巡らせていた。この妄想が果たして本当に現実に反映されるのか。それを証明したい。

ふとコンビニが目に入った。私はそこに足を踏み入れる。やはり、店員も客も私には気付いていないようだ。

パジャマ姿の私が見えているならば、必ず注目するだろうから。誰一人として私を見ていない。

文房具の棚に行くと、赤い油性ペンを見つけた。私はそれを手に取り、レジに足を運ぶ。

「あ、そっか。これ妄想だから払わなくても良いんだよね」

 店員を目の前にして呟く。そんな不気味な独り言にも店員は反応しない。

 多少の罪悪感はあったが、お金を持っていなかったため私はそのままコンビニを出た。

 私はコンビニの前に立てていた旗に気づき、油性ペンのキャップをはずした。旗に花柄を小さく描く。

 もしこの妄想での出来事が現実の世界に反映するのなら、このコンビニの旗に花柄があるはずだろう。これはその証明になる。

 私はマジックを路上のゴミ箱に入れ、妄想から目覚めるために目を閉じた。


 現実に戻った私は、早速着替えてコンビニへ向かった。玄関の壷はすでに母が片付けた後だった。

「トモ、どこか行くの?」

「ちょっとコンビニ」

リビングから母の言葉が飛んだが、手短に返事をする。

自転車に跨り、必死にペダルを踏んだので15分ほどでコンビニに着いた。

けれどあまりに必死だったため、真冬なのに体中が汗だくだった。

私は汗を拭いながら、自転車を駐輪場に止める。そして旗に駆け寄った。

「……嘘でしょ」

 思わず率直な言葉が漏れた。

 そこにははっきりと先ほど描いた花柄があったのだ。

私は急いでコンビニの中を覗いた。先ほど妄想で見た店員と全くの同一人物だ。

次はマジックを棄てたゴミ箱を開く。やはりそこにはあの赤い油性ペンが入っていた。

 体中が得体の知れない緊迫感に包まれる。ぞくりとする、とはまさにこの状況のことである。恐ろしさと興奮が押し寄せてきた。

 しかしこれではっきりとした。私の妄想は、現実に影響を起こしている。

 ――まるで、世界を動かす大きな力を得たような気すらする。


 家に帰った私は、また妄想の世界に飛び込んでいた。

 私は最高の力を手に入れた。これならきっとなにもかも上手くいく。

「いってきまーす」

 リビングの母に声をかける。けれど反応は無い。私の声は聞こえていないのだ。声はおろか、私の姿すら見えていないはずだ。

無視されたようで少し不快だったが、母に束縛されないという時点で最高の気分だ。

 今度は行儀良く玄関から出かける。先ほどと同じように身体を浮遊させ、低空飛行で街へと赴く。

 私は散々遊びつくした。今まで一人では入られなかった店に入ったり、高級料亭に行ってご飯を頂いたり。

現実でどう影響が出ているかは解らないが、食べていることには変わりないのだから遊ぶにこしたことはない。

 誰も私が見えない。私の存在に気が付いていない。

……別に、普段と変わらないことだ。現実の世界でも、私は目立たない。とても地味な女子中学生だ。

妄想なのだから、少しくらい楽しく過ごしたって良いじゃないか。

「あー遊んだ遊んだ!」

 背伸びをして、私は満足げに言った。久々に楽しい時間を過ごした。

 鬱積していたストレスが取り払われた気分だ。

「もう、妄想の世界から出たくないなぁ」

 心底そう思った。現実にいたってろくなことが無い。友達も居ないし、将来やりたいことも無い。

ただ学校に行って、帰ってゲームかパソコンをしているくらいだ。

母は私に、「勉強をしなさい。そして良い大学に行きなさい。パパみたいになっちゃ駄目よ」と馬鹿の一つ覚えのようにしか言わない。

父は仕事ばかりで最近ろくに会話をしていない。最後に話したのは、何年前だっただろうか。

妄想の世界の方が、よっぽど人間らしい活動をしている気すらする。

「もう一生、こっちの世界でいいや」

 軽い気持ちで呟いた。

 その時、大きな地響きが起こった。一瞬だけ、激しく大地が揺れる。

 私は短く悲鳴を上げてしりもちを付いた。

地震では無かったような気がする。何かが閉まった音のようだった。例えば、大きな扉のようなものが。

 私は恐ろしくなって、現実に戻ろうと目を閉じた。

「あれ……? なんで? なんで、戻らないの!?」

 何度試しても、意識が戻らない。広がるのは妄想の街中だけだ。

 私は戸惑いの中、現実に戻れなくなったということを知った。

「ちょっと……ちょっと待ってよ? 私、もしかしてずっとこのまま? 一生、誰と も喋られないままってこと? 

か、勘弁してよ! そりゃあさっきは、あんなこと言ったけど……そんな、本当にそうなるだなんて思わないでしょ? さっきのは冗談よ」

 誰に話しかけているのかは自分でも解らない。

周りの通行人は私に気づかずに歩いている。通行人の足が私の肩に当たった。

「いたっ!」

「どうしたの?」

 女子高生の二人組みだ。片方が不思議そうに私を眺めている。

「なんか、脚に当たった」

「えぇ? なんもないじゃん」

 もう片方の女子高生が、私がいる辺りで足を蹴るような動作をする。

私が思わず後ずさりすると、女子高生の脚は空を切るばかりだ。

「なんもないじゃん。気のせいじゃない?」

「……変だなぁ」

 首をもたげて2人は去っていった。

 顔が蒼白に染まる。

私は完全に、妄想の世界に閉じ込められたのだ。



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